hanamameizumiの日記

日常的に考えていること。

短気は損気。

「短気は損気。」

昔の人はつくづく上手いこと言うなぁ。

と思います。

私は、どちらかというと短気でした(今も?)。

・信号が自分の前で”黄色⇒赤”に変わる。

・挨拶の返事がない。

・愛想が悪い。

・レジで待たされる(約2~3分)。

など。

もちろん、誰でも腹が立つ時もあり、これらについても腹が立つ人もいると思います。

でも、問題なのはその「程度」かも知れません。

私の場合は、これらの事柄で軽く半日は、イラついていました。八つ当たりや喧嘩などもありました。

間違いなく”損”をしていました。

 

今でも、これらについて、腹が立つことはあります。

ありますが、昔ほどではなくなりました。

 

一番変わったなと思うのは、”我慢”ができるようになったことです。

昔は、”我慢”が出来なかったので、良く人に「腹立ちが顔に出ている」と指摘されたものでした。

でも、今は(自分で言うのも申し訳ないのですが)、

”いつも穏やかそうで良いですね”と言われます。

実際は、そんなことはないのですが。

そこで、気づきました「短気は損気。」と。

もちろん、すべて”我慢”することが良いとは思いません。

言うべき時に言うべきことを言う。

これ大事です。

しかし、少なくとも、感情に任せた発言や態度は慎まなければと思います。

 

生まれついての性格は変えられないかも知れない。

でも、それで自身が損をしない生き方はできる。

 

近くの席で、部下が力いっぱいパソコンをタイプする音にイラつきながら

そう思いました。

心的時間。

「心的時間」

物理的時間とは異なり、人間の心理的な時間のことです。

”早く仕事終わらないかな。”

”久しぶりに遊びにきたのに、もう帰る時間か。”

など、現実の時間進行とは関係なく、人が感じる時間感覚のことです。

この、「心的時間」に影響を与えるのは、

・時間以外の情報量

・時間にどれくらい意識が向いているか

など。だそうです。

つまり、

”初めて経験する、楽しい事柄”・・・時間が経つのは早い。

”何度も同じことを繰り返してきた、つまらない事柄”・・・時間が経つのが遅い。

 

同じように毎日仕事をしていても、

「今日は一日が長いな」と思うときもあり、

「今日はあっという間に一日が終わったな」と思うときもあります。

一日が長い時は、仕事が充実していないと、経験的に分かっていましたが、

「心的時間」のことを調べてみると、改めて考えさせられました。

仕事なので、自分が好きなことだけをすることは難しいですが、

”つまらない”と思う仕事をいかにして、”楽しい”と思えるようにするか。

結局は、自分次第ということでしょうか。

そして、そうすることが、自分も得をする。

 

明日から、また一週間始まります。

一週間が早く終わるように、「心的時間」を短くしていきたいと思います。

 

 

 

遠野物語。

本日は、所用があって遠野市に行ってきました。

初めてです。

”ザシキワラシ”や”カッパ”などが出てくる「遠野物語」の

遠野です。

周りを山に囲まれて、”ずーっと昔から変わっていない風景”

なんだろうと思いました。

そこには、都会の喧騒や煌びやかさは一切ありません。

あるのは、「何も足さない。何も引かない。」みたいな風景です。

しかし、なぜか心は満たされるような感覚になりました。

もちろん、雪が多い所でもあり、コンビニやスーパーなどは近くにないため、生活する上での大変さはあると思います。

でも、上手く表現できませんが、都会では得られないものがあるだろうと感じました。

だからこそ、「遠野物語」のような情緒を感じさせる物語が生まれたのでしょうか。

 

いずれにしても、狭い日本の中ですが、”自分がまだ知らない世界がある”と感動しました。

都会の華やかな世界も良いですが、田舎の世界も良いものですね。

情けは人のためらなず。

「情けはひとのためらなず。」

鬼滅の刃「刀鍛冶の里編」

皆さんも見たと思いますが、そこで出てくるセリフです。

アニメの中でも説明しているように、”人にしたことは巡り巡って自分に返ってくる”。

調べてみると、確かに、”情けは人のためにならない”ではなく、

”人にしたことは巡り巡って自分に返ってくる”。みたいです。

でも、私は、”情けは人のためにならない”

この解釈も間違いではないと思います。

もちろん、人に情けをかけること、「大変だったね」「苦労したね」と同情することは誤りではないと思います。

しかし、その先が大切。

人に同情して終わり。

それで、その人の問題が解決すれば、良いと思います。

でも、多くの場合は、同情だけでは解決しない。

そう思います。

同情するよりも、むしろ、具体的に”どうしていけば良いのか”

これが重要である時もあります。

しかし、往々にして、同情が先に立つと、具体的な解決策が見出せない。

そんな気がします。

その結果、かえってその人を苦しめる場合もあるかも知れません。

そう考えると、「情けはひとのためらなず。」は、”情けは人のためにならない”

との解釈はあながち誤りではないような気がします。

 

 

国民感情。

「貧乏人は麦を食え」わりと有名な発言です。

戦後間もないころ、時の大蔵大臣の国会答弁です。

”努力してお金をもうけた人は良いものを食べて、そうでない人はそれなりのものを食べる。”

「経済原則に則った国にしたい」みたいな趣旨からの発言だったようです。

確かに、理屈ではそうかも知れませんが、聞いている国民からすれば、神経を逆なでするような言葉だと思います。

当時の状況は良くわかりませんが、戦後なので、当然物もない。

食べたくても食べれない。

お金を稼ごうにも稼げない。

といった世の中で、国民は苦しんでいたことが推測されます。

そのような中で、たとえ正論でも、この発言はあまりにも当時の国民感情を無視したものだと思います。

 

今もこの構造はあまり変わっていないような気がします。

政治家の不祥事や発言。

何かある度に、”説明”をしますが、いくらもっともらしく”説明”しても、国民感情的に納得はできないことが多いです。

 

信頼を回復するのであれば、

「今の政治家を選んだのは、結局国民だ。」

正論の前に、国民感情に訴えかける”説明”もお願いしたいと思います。

 

 

虹。

「虹」という漢字の由来は、古代中国の人が、虹を見て”天を駆ける龍の姿”を

思い描いたところから来ているようです。

「虹」の虫偏は、ヘビなどの爬虫類を表し、工は「貫く」という意味があるそうです。

また、ヘビは長生きすると龍になる伝説があるようです。

したがって、”ヘビがやがて龍になり、天に昇り空を貫く”。

古代中国人は、ロマンチストですね。

「虹」を見て、これらのことを思いつくのですから。

 

私は、たまに雲をぼーっと眺めたり、鳥が悠然と飛んでいる姿をみながら、

ラピュタみたいに、あの向こうに世界があるのか」

「鳥は、自由だな。タダでいろんな所に行ける。」

と考えたりします。少しアホな気もしますが、まじめにそう考える時もあります。

”だいぶ疲れているのかな”と思いますが、違うようです。

大体、心に余裕のある時です。

まあ、その考えが何かに役立つわけではありませんが。

でも、古代中国の人も、何となく”キレイな虹だな”と思いながら、「虹」を考えたような気がします。

なので、一見、無駄な時間と思っても、のちに何かを創造するきっかけになるのでは。

ぼーっと雨を見ながら思いました。

 

 

 

メリクリ。

少し早いですが、今月はクリスマスがあります。

皆さんご存知のように、クリスマスはキリストの誕生日です。

私は、キリスト教徒ではありませんが、子どもの頃からクリスマスが近づくと、クリスマスプレゼントやケーキがあるため、すごくワクワクした覚えがあります。

なので、今でもクリスマスが近づくとワクワクしてきます。

そして、これも皆さんご存知のように、クリスマスプレゼントやイベントなど現在のようになったのは、企業戦略の一環です。

でも、そのおかげで、子どもや親にとっては、楽しい思い出作りの場になっていると思います。

私の子どもの頃は、ほぼ母子家庭みたいなもので、裕福ではありませんでした。

それでも、母親がケーキやプレゼントを何とか用意してくれていました。

そのおかげで、”クリスマスは、一年で一番楽しい時”と、大人になった今でも思います。

もちろん、いろんな事情から、私のようにクリスマスケーキやプレゼントを用意できない。といった家庭もあるかと思います。

なので、手放しで、”クリスマスは、楽しいので皆さんも楽しんで!”みたいには、いかないかも知れません。

人によっては、クリスマスが好きでない人、関心がない人もいるかも知れません。

でも、私はクリスマスに良い思い出を作ってもらいました。

 

ありがとう。お母さん。